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村長さんの島じまん:地層と絶景、素朴な村並み…大自然の小さな島づくり – 粟国村長 新城静喜氏(3)

村長さんの島じまん:地層と絶景、素朴な村並み…大自然の小さな島づくり – 粟国村長 新城静喜氏(3)

Part3  ゼロから始まった「粟國の塩」、伝統の手づくり物産 

那覇・泊港から2時間の沖に浮かぶ粟国島は、映画「ナビィの恋」の舞台になった人口759人の一島一村。琉球弧で唯一、霧島火山帯に属する島の自然は変化に富み、北側の崖の上では特産品「粟國の塩」が炊かれている。平成20年に就任した新城静喜村長に、「ふくらしゃる粟国 てるくふぁ島(※)」を掲げた村づくりを伺った。  

※「ふくらしゃる」は「歓喜に満ち溢れ、よろこばしく、祝福されている」、「てるくふぁ」は「島に照りそそぎ、島に恵みをもたらす太陽神」の意味。どちらも島で歌い継がれてきたウムイの中にある。 

 

究極の塩づくりに選ばれた粟国島

第一回で触れた人口減少問題を考える上で、雇用の確保は避けて通れないテーマだ。 

「その点で、『粟國の塩』をつくる株式会社沖縄海塩研究所はありがたい存在です。16人もの雇用を生み出していて、中には島の人と結婚したIターンの女性もいます」。 

沖縄海塩研究所の製塩工場は、北側の崖の上に立つ。創業社長である小渡幸信さんは、戦前のサイパン生まれ。終戦後沖縄に戻り、タイル職人を生業としながら、自然塩の復活を唱える研究者谷克彦氏(故人)との出会いをきっかけに塩づくりの研究を始めた。 

最初の製塩所は沖縄本島の読谷村につくったが、究極の塩づくりを追い求め、沖縄の離島をめぐり、台湾にまで渡って海水を調べ尽くした結果、粟国島を選択。1994年に立体式塩田タワーを完成させてから、今年で23年を数える。 

小渡さんは、「粟国島には畑が少なく、特に工場のある島の北側には民家や畑などが全くないため、風が1年中吹き抜けていることが理由のひとつ。そして、食べものの味を引き出し、代謝を補助するマグネシウムの含有量が豊富だったことが決め手になりました」と粟国島を選んだ理由を語る。

多くの微量元素が含まれた海の恵みをなるべくそのまま食卓に届けるため、小渡さんは自然の風や太陽、薪の火を使った独自製法を守っている。異彩を放つ穴あきコンクリートの立体式塩田タワーは、「採かん」と呼ばれる海水の濃縮工程を担うもの。中には1万5千本もの竹が吊るされている。この竹を伝って落ちる海水に風を当てて水分を飛ばし、5倍の濃度まで濃縮する。

そこからさらに、釜で炊くか、天日に干す工程を経てようやく塩が完成する。 

釜炊きは薪をくべながら焦げないようにかき混ぜて30時間。天日は夏場で20日、冬場で60日かかる。 

「今でこそスタッフがいるので交代制ですが、ひとりでつくっていた頃は、火が消えないよう釜の前で仮眠をとりながら作業にあたっていました」と小渡さん。 

現在では、年間120トンを生産し、沖縄本島はもちろん、県外の一部スーパーにも流通させている。 

100%島の素材で一番人気「粟國の塩・島唐辛子ブレンド」 

小渡さんがゼロから立ち上げた「粟國の塩」は、塩を使った加工品産業へと展開。例えば、株式会社沖縄ファミリーマートと株式会社リウボウインダストリーが運営する「離島のいいもの沖縄セレクション」で、「粟國の塩・島唐辛子ブレンド」は定番の人気商品だ。 

「離島のいいもの沖縄セレクション」は、およそ10離島で小規模生産される島の素材を生かした手づくりの味を、おそろいのビンに詰め、那覇空港をはじめとするファミリーマートやウェブショップで販売するプロジェクト。 

製造を手がける粟国村女性連合会会長の呉屋貴美江さんに「粟國の塩・島唐辛子ブレンド」の成り立ちを尋ねると、「昔から、唐辛子の粉と塩を混ぜて、暑い時のおやつにしていました」と暑い島の暮らしの知恵を話してくれた。 


地域おこし協力隊のお2人と呉屋貴美江さん 

商品化にあたっては、煎ってから粉にする工程を加えて調味料としての完成度を高めたそう。つくりはじめてから、徐々に島唐辛子を売ってくれる人が増え、今では10人ほど。現在では、使われる島唐辛子は100%あたいぐわぁ〜(沖縄方言で「家庭菜園」)産となっている。 

先人の知恵を継ぐプライドフード「そてつみそ」 

手づくりの特産品は他にもある。サトウキビに次ぐ主要農産物であるモチキビを活かそうと、農漁村生活研究会加工部の女性たちがモチキビかりんとうを開発。  

手ごね、手びねりで、子どもからお年寄りまで手軽に味わえる素朴な美味しさを生み出しており、もちきびの味と香りが楽しめる。 

現在では、粟国島でしかつくらなくなっているという「ソテツみそ」もそのひとつ。食糧難の時代、島の人びとは原野に自生するソテツの実を丁寧にアク抜きをして米のかわりに食べ、飢えをしのいでいた。

そのソテツを使った味噌は豊富な鉄分と旨味が特徴。先人の知恵を誇りを持って受け継ぐアンマーたちがつくる、熟成された逸品もの。

島でとれた小豆や黒糖を使ったようかんも人気の品。甘さを抑えた大人の味。手作りならではの自然な味わいに、思わず頬がゆるむ。 

豊富な漁場を生かし、トビウオ漁復興へ 

島民の主体的な取り組みによる小商いが息づく中、新城村長の目は島を取り囲む海にも向けられている。「本年度の内閣府による離島活性化支援事業の募集に応じて、3つの事業を提案しました。そのひとつがトビウオの追い込み漁を復興するための漁船の購入と、漁師を志す若者の人材育成でした。漁場は豊富なのに専業の漁師さんがほとんどいない。眠っている資源を生かしたいのです」。 

10年前、漁師の所得向上を目指した6次産業化を企画し、干物の加工所と販売所を兼ねた施設「とびきち」を建設した。出口を整えたものの、島での漁獲量が確保できず、現在は那覇からマグロなどを仕入れて刺身や寿司にして売っている。本来の姿から外れ、那覇にお金が落ちてしまう状況に対して、手を打ちたい考えだ。 

「粟国島に4~5000人が住んでいた明治の初期に、50隻あまりのサバニでイカやトビウオを獲って食べていた記録が残っています。トビウオは時期が来るとまとめて獲れるものですから、ボーナスみたいなものだった。干物にして島で消費すれば、島の漁師の安定収入になります」。 

新城村長は、志を絶やさず、漁業の復興に取り組むかまえだ。 

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