組踊「忠臣仲宗根豊見親組」

あらすじ
時は、1522年、嘉靖元年、尚真王は、仲宗根豊見親の進言忠臣により、豊見親に命じて与那国を討伐させた。
与那国の首長鬼虎は、元狩俣の根間屋の生れで、5才のとき、与那国の商人大宜味樽に粟一斗で買われ、与那国で成長し、21歳で豪勇、島民の信頼を得、島の首長となる。
1510年以来、与那国は、中山の支配下に置かれ、王は西表の組納堂を与那国与人に命じ、過酷な穀税を命じた。
これに対し義憤にみちた強者共を集め、義兵をあげたのが鬼虎で25歳の嘉靖元年である。
征討宮古軍は仲宗根豊見親を対象に武将仲屋金盛、金志川金盛、祭利金、那嘉太知、知利真良、土原で総勢1200人は与那国征討に勝利旗をあげ無事凱旋します。

第1幕
宮古島主仲宗根玄雅公のさっそうたる出で立ちである。
玄雅は、大要次のように述べます。
「与那国の鬼虎は己の武勇を頼み、大命にそむき、悪欲を欲しいままにしている輩である、尚真王より名刀治金丸もいただき拝命したので、早急に村々の豊見親勢を糾合し、与那国征伐の謀をせねばならぬ」使いを呼び命じます。
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第2幕
急報を受けた各村の豊見親勢である。
平良へはせ参じた豊見親達は仲屋金盛を先頭に仲宗根豊見親(大主)の居城へ急ぎます。
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第3幕
屋敷に招じいれた仲宗根豊見親は、与那国征伐の謀打ち明けるのである。
「みめうるわしい娘二人と酒を用意し、浜で踊らせ、鬼虎を招じ入れ、酔い潰れるところを首討ちとろう」という作戦であった。彼はこの諸準備を仲屋金盛に言いつけます。
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第4幕
砂川村へ飛脚である。唐の楊貴妃、日本の小野小町にも劣らぬ程の美女が砂川村にいた。
豊見親達は使いを出して二人を呼び出した。
白羽の矢、(?)が当たったのが、オーガマ、クイガマ姉妹であった。
使いは途中の連峰をたたえながら、思い足を運んでいるうちにいつしか砂川村近くまで来ていた。
彼は元気百倍かけ出していった。
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第5幕
♪千瀬節(ひし)今出るわみや、砂川村オーガマ・クイガマどやゆる、大主の御急用てゆいお使いのあてど登ていちゅん。
大平山(宮古島)にとどろく絶世の美女オーガマ、クイガマが仲屋金盛の屋敷に急ぐところである。
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第6幕
金盛は美女二人に与那国征伐に参加するように命じたが、二人は「老いたる父母が居るが故にこれだけはお許しを願いたい」とこたえた。
金盛は大そう憤慨し、那喜太知に直ちに切れと命じた。金志川がそれをさしとめ、二人を懇々とさとして同行することに落着いた。
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第7幕
村々の豊臣親達が、美女二人を伴って大主の居城へ参上するところ。
大主は二人のけなげな態度をたたえ、二人の父には位をつけ、母には一ヶ月十石の棒録を与えることを約した。
急を要する大主は、与那国に通じた船筑を呼び、彼の地の様子をつぶさに聞き、且、各武将の誓いの程を一々聞き及ぶのである。
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第8幕
村々の各武将は、大主を先頭にして祥雲寺(平良)に参り、必勝祈願をしていると、船筑(船頭)が急ぎ軍船に分乗されるよう言上に及ぶところです。
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第9幕
親思う心にまさる親心、オーガマ、クイガマの両親が、遠い、遠い砂川村からはるばる愛しい我が娘等の最後の姿をまぼろしを追ってかけつけたところ、かよわい女の死出の旅にのぞむオーガマ、クイガマの心中、ままならぬ世の常とはいえ、ひたすらに忠孝の大義に生きんとする封建時代の悲しい現実であった。忘れられぬ恋しい母のにおいの染むお守りの着物は武器を持たざる二人の唯一の守り神であった。
♪伊野波節 生き別れでんし かにくりしやあもの 嵐声(あらしぎ)のあらば我身やちゃしゅが
♪東江節 生き別れてやす 与所の上どう聞ちゅる 今日や身の上になるが心気(しんき)
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第10幕
正に天に代わりて不義を討つの意気、1200人のつわものの共の軍船。
多良間と水納間の水道をゆうゆうとしぶきをけって進むところ、船筑「これが目的地の与那国島です、沖にかけますか港口に入りますか」大将「口にかけろう」敵前上陸に移るところ。
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第11幕
荒々しい与那国の首長鬼虎である。
「二十日余も雨続きでやっと晴天になった、きょうは山登りしてのんびり楽しもう」酒け肴を用意して出てくるところ。
宴もたけなわの頃、先にオーガマ、クイガマを投じた豊見親勢も続いて長谷参じ、宮古島の乱世振りを訴え救いを求める。
宮古生まれの鬼虎はなつかしいやら嬉しいやらでとうとう甘い言葉につりこまれ、一切を開放してひざをまじえた。
酔った鬼虎は自分の居城に大祝宴が待っていることを豊見親達に告げ、二人の美女は先に連れて帰った。
♪石嶺節 押風ん今日や心あてさらめ 押し通りて互に踊て遊ば
♪与那国節 与那国の大主の、みうぶきん 我の助け、身助けたばわり
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第12幕
総大将仲宗根玄雅の戦闘配置命令である。
「金盛豊見親は、若武者五人を率いて東門の双方から攻めかけよ。また那喜太知、知利真良の二人は若武者十人を引き連れて、西の脇門の両方より攻めかかれ。また祭利金は討手を引き連れて、石垣を超えて逃げる者共を射りとめよ。また金志川金盛と土原豊見親は、われと共に玄関から踏み込めよ。合図の鼓を打たば一同攻めかかれ、また合図の鐘だとさっさと退けよ。」
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第13幕
鬼虎の首は首尾よく討ちとった。
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第14幕
味方の点検が終わり、はるか祥雲寺に感謝しているところへ、鬼虎に追われ長年奥山生活を送りきょうある日を念願していた与那国のひやが出てきて長年の苦しみを訴える。
仲宗根は大いにねぎらい且たたえて元の与那国の頭にすえた。
さらに、「かかる悪逆無道の輩の死体は、大浜の海岸にうじのわくまで苦しめろ」と命じ、総軍勢歌やおどりで凱旋するのです。
♪石嶺節 きょうのふくらしゃやなうにぎゃなたてる つぼでおる花のつゆきゃたごと船もとの間や踊て戻ら
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多良間の豊年祭り(八月踊り)は「国指定重要無形民俗文化財」に指定されています。
旧暦の八月八日を「八月御願」の日として、その日が仲筋の「正日」で、次の日を塩川の「正日」、次の日を「別れ」(両字)として三日間行われる。

参考:多良間村公式ウェブサイト>>八月踊り

多良間島に関する過去の記事はこちらから
多良間島レポVOL1~VOL4

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